ね、モモ。
み
忙しくて何もないときにある材料で作ったらとてもおいしかったスープをメモ。
新玉ねぎ2個を八つ割にして鍋に入れ、トマトホール缶1つに水をひたひた、ローリエ1枚、唐辛子1本、岩塩適量を入れて煮込むだけでとってもコクのある味。新玉ねぎの甘みがいい味となってアクも出ない、おたすけスープです。どういうわけか、スープや煮込みに使う塩は、同じ岩塩でもさらさらではなく結晶の塊の岩塩がいちばん深みのある味になる気がする、不思議。
読んでいる本にはっとさせられる一文がありました。
『すっとうまく書けたとき、作者がうまく書いたのではない。むしろ触覚そのものがうまく展開し、書き進んだものを、書き手がじゃますることなく、十全に制御下におけたということである。』
「書く―言葉・文字・書」石川九楊著 より
み
その後土曜日の銀座なんてどこも人だらけなので、三越のデパ地下でいちごジュースを買って歩行者天国のベンチに陣取って、マンウォッチングをしつつひとしきり喋ってからMちゃんの家へ。Mちゃんママの美味しいお菓子とお茶をご馳走になりながら旅行記録の山をひとしきり見せてもらい、再び書に話が戻って日比野五鳳の作品集も見せてもらった。かっこいいなーと思って見ていたけど、いまこれを書きながら調べたら昭和の三筆のひとりだと分かった!! うわ!何も知らないで(説明はしてもらってるはずだけど聞いてない。ごめんなさい。)20代はじめに岐阜の記念美術館まで行ってたんだ! うわぁ〜〜〜。...いいもの見ていたなあ私。しみじみ。
しかしインパクトあったのは、練習中の書を見せてもらったこと。五センチくらいの厚さはあったけど腰の高さまで書くことが今の目標と訊いて、がーんとなった。ものすごくいい意味のがーーーんである。なんだか清々しい気持ちになった。
この日はとても大切なことを沢山話して、沢山ミラクルが起きたような気がするのに、すべて細胞に吸収されてしまったような感じで実はきちんと思い出せない。でも何かが良い方向へ、ぐいっと動いたような気がする。これを忘れないようにしっかり生きていかなくてはと心に刻んだ。
み
「ジョゼフ・コーネル × 高橋睦郎」を観るために、数年ぶりに訪れた川村記念美術館は増築されたらしく、マーク・ロスコやカルダーの部屋ができていて常設も以前より面白かった。カルダーのモビールは大きくて初めて観た時はびっくりしたものだけど、何度観てもとってもいい。あんなものが置ける家に住めたらいいだろうな。
コーネルの箱の展示は暗い星空の部屋になっていて、それだけで独特な雰囲気、ひっそりと秘密を覗きみているようでわくわくする。私はジョゼフ・コーネルを知らなかったけれど、自分がいいなあと思ったものを作る人の中にコーネルを好きな人ってかなりいるような気がした。知らないうちに間接的に影響受けてきたのかもなどと考えながらゆっくりと観た。
展示もいいけれどフランス綴じの図録がこれまたうっとりする手触りと印刷でたまらない! 持ち帰ってもいっぺんに開いてしまうのは勿体ないので数ページだけ開き、残りのページはまだ秘密をかかえたままにして本棚に戻しました。ひっそりとページを切り開く楽しみをまた味わえるように。
同じ市内なので迎えに来てくれる父の車が到着するまで、庭を眺めていようと外へ出ると、さっきまで池にいたあひるたちが歩道近くまで上がって来ていたので、近づいて手を伸ばすとぱっくりと噛み付かれました。ちょうど親子連れが写真を撮ろうとしていたところに私は割り込んでしまったようで、ほらほら、手を出したらかまれるよ〜〜、とダメなほうの格好の見本に。いい大人なのに。それにしてもあひるの口には歯がないので怪我はしないけど、とっても大きな口でびっくりした!
そして両親と近くのイタリアンでランチの後、ちょっと歴博に寄っていい? と頼んで道を曲がったところで急に父がエンジンが変だ! と言い出し、あれ、そうかもね? と言いながら道の脇に寄せて停車したっきり、エンジンは動かなくなり。
あちこちに父が電話で連絡をしている間、私もそれなりに手伝いなどをして一段落したころ、ちょっと歩いてくると散歩に出た母。戻ってくると嬉しそうに野草の花束を抱えているので、暢気ねぇ!と云う私に、『だってわたし車のこと何も分からないし、わたしには関係ないし。ほらこれ、きれいでしょう!?』とのこと。ううむ、このひと事っぷり、さすが我が母。キャストが違えばわたしがこの役だな。と思ったことでした......。この後佐倉駅までとことこと歩き、とんだ珍道中になった一日。
自分でも違和感を持っていたので素直に納得する。今制作中の
書体、たしかに紙に描いた感じと微妙にどころか全く雰囲気が違う。
あまり意識しないで書いたスケッチ、それをデータにする時の時差と
良くしようと言う欲。もちろん良くしなければいけないでも初めの
雰囲気を壊すのは避けたい。文字書きには修行僧のような、
無の境地のような強い精神が必要ダ。
ウ〜ム、マンダム。
ま
地下鉄の通路にあるマガジンラックに入っていた
「東京時間旅行荷風」が私に手招きをしている。
手に取って広げてみると上「くもやじ」と下「クワドラ」
がタイトルとして使われていた。